「オイラーはどうしてゼータ値を26までしか求めなかったのか?」 ずっとそんな疑問を持っていました。しかし、実は34まで求められていたこと でほっと胸をなでおろすことができました。 詳しくいうと、オイラーは1734/35年の論文E41では6個の正の偶数での特殊値、 1745年の教本E101ではさらに7個(計13個)の特殊値、 1749年の論文E352ではさらに4個(計17個)の特殊値を示しています。 (論文E352は再び印刷されなかったため広く知られていなかった。)
注目すべきなのは、ふたつの論文でのリストが2k=12、
34=37-3で終わっていることです。
非正則素数と指数の対(p,2k)の中で、
2kが最小となるのが(691,12)であり、
pが最小になるのが(37,32)です。
オイラーはそれらのことを認識した上で、計算していたと考えられるのです。
もし確実な証拠をご存知の方がおられましたら、
ぜひお教え下さい。(2004年6月-)
この考察の続き
ヒントはありました。 ゼータの正の値を月と書き、負の値を太陽と書いたことです。 太陽と月・・・とくれば日食(月食は地球の影響が必要なので不可) が思いつきます。 つまり、太陽(荒々しいゼータの負の値) を月(静かなゼータの正の値)が 隠そうとしますが、隠しきれなかった光の環 (巨大なガンマ関数の正の値)・(調和のとれた三角関数)/(不思議な円周率のべき乗) が輝くといったイメージです。 オイラーがきっとそう感じたように、 この数式の美しさをより強く明確に感じとることができました。 (下の図の左側が太陽のゼータ−右側が月のゼータの絶対値の対数値を表しています。 交代和なので極はありません。)
もちろんオイラーが美しい日食を見ていないとすると、 この推測にもあまり説得力がありません。 日食に気が付いてネットで検索したところ、 論文E352を書く前年の1748年7月25日に日食を観測したという事実 (関連論文E117,E142)を知りました。 しかも、それはまさしく金環日食(Annular Eclipse)でした。
1748 Jul 25 11:27 A 122 0.518 0.946 48.7N 24.6E 59 231 05m12s
FIVE MILLENNIUM CATALOG OF SOLAR ECLIPSES 1701-1800
(Berlin 52.52N 13.40E)
下の写真は、日食に関する計算をおこなったオイラーに捧げられた地図
(Homann and Doppelmayr Astronomy Print)です。
次の画像で、オイラーの気持ちを想像することにしましょう。
オイラーはサンクト・ペテルブルグを1741年6月19日に出発し、ベルリンに1741年7月25日に到着した。(37日間)
ちょうど金環日食の7年前であった。
(2006年10月)
E41 -- De summis serierum reciprocarum (On the sums of series of reciprocals)
[written 1735, presented 1734, published 1740.]
論文1
特殊値1
E72 -- Variae observationes circa series infinitas (Various observations about infinite series)
[written 1737, presented 1737, published 1744.]
論文2
オイラー積1
オイラー積2
E352 -- Remarques sur un beau rapport entre les series des puissances tant directes que reciproques (Remarks on a beautiful relationship between series of powers and reciprocals of powers)
[written 1749, presented 1761, published 1768.]
論文3
特殊値3
特殊値4
関数等式1
関数等式2
関数等式3