偉大な数学者オイラーの教本「無限解析入門」を調べてみると、不思議な数が現れてきました。
眉唾の話ではあるのですが、どこかにこの推測の一部を信じたい気持ちがあります。
こうやって数字遊びを楽しめるんだなあと、寛大な気持ちで読んでみて下さい。
もし私が37という最小の非正則素数(ゼータの負の値の分子に現れる素数) を発見した最初の人間だったとしたら、すぐにその素数の発見を宣言したことでしょう。 しかし、オイラーは表面的にはそうしたように見受けられません。 実際のところ、オイラーはゼータの有理数部分の分子の素因数など全く気をかけることなく、 ただ黙々とそれらの値を34まで求めていたのでしょうか? オイラー自身これらの有理数たちを"derniere importance" と記しているにもかかわらず、興味がなかったのでしょうか? そんなことはないはずです。例えば「微分計算教程」 (E212 p.335 p.336) では 、 30までの素因数分解を求めようとしているのですから。
オイラーの教本E101の第11章には不思議なところがあります。
ゼータの値あるいはベルヌーイ数を26番までしか与えていないにもかかわらず、
ゼータの近似値を小数点以下23桁まで求めています。
いくつかの計算方法があるでしょうが、
もしオイラー-マクローリン法により十進法で扱いやすいように
9項までと10項以降を分けて計算したとすると、
ゼータの2, 4, 6での値を推測するためにベルヌーイ数を34番まで
は調べていると思われます。
(なおこの級数の分け方は、E352のp.99で見ることができます。)
また、論文E352 [written 1749, presented 1761, published 1768]で
「これまで私が計算してきた限り示す」としてゼータの値を34まで与えているのに対し、
教本 [written 1745, presented 1748, published 1748]の10章では
「いくつか書き添えておく」として26までの値を与えていただけでした。
オイラーが何かを隠しているような雰囲気を感じないでしょうか。
さらに不思議なことに、ゼータの10での近似値Eが唯一 大きく(小さく?)間違って与えられているのです。その差は
です。 (他の21個の近似値は、切り捨てだと考えるとすべて正しい値になっています。) どうしてこんな差が生まれたのか、級数の各項を調べてみるのですが、 いまのところ見当がつきません。 他の方法による計算の確認もできたはずです。 しかも、これらの数を用いて求められたはずの 円周率の対数の値は、小数点以下23桁まで正確に与えられています。 オイラーは本当は正しい値を知っていたのではないかと思わずにはいられません。
そこで、この誤差はオイラーが意図的に与えたものであると推測してみます。 まずゼータの10での近似値はEとしています。 次に1998を因数分解すると54*37となり、
が現れるのです。(54については後述。) つまり、「オイラーは最小の非正則素数37を知っていた!」というわけです。 1998という数字自体は26番までのベルヌーイ数により推測することができます。 ところが、この文章の意図を知るためには、さらに計算を続ける必要があります。 したがって、オイラーの言いたかったことは、
この計算に関する先取権の主張もあるでしょうが、 この重要性を理解する人のために謎かけをしてくれたのではないか、 そして共感してくれる数学者をオイラーは求めていたのはないでしょうか。
はじめの近似値のリストでこのような謎かけをはじめたとすれば、 残りのリストでも謎かけを見つけることができるでしょうか。 実際に計算をしてみると、すぐに次の問題にぶつかります。
1 ゼータの値の近似値は、四捨五入ではなく、切り捨てによって求めている。
2 これらの値は、ζ(2k)からζ(2k)(1-1/2^{2k})を差し引くことによって、
得られている。
(参考:ゼータの特殊値の近似値計算)
普通に計算すれば誤差が小さくなるため正確に求まるはずの近似値が、 この方法だとそうではなくなってしまうわけです。 以上のように考えて真の値と比べることにより、 誤差があるものすべて(先ほどのEもふくめて) 以下にリストアップしました。 (算出している値の意味が異なるとすると、誤りともいえません。 たとえば、ζ(2k)/2^{2k}の切り捨てによる値であれば、π, φ, ωは正しい値となり、 γ, δ, ν, σが代わりに誤りとなります。)
まず、θとλにおける大きな2つの誤差について、 非正則素数によって説明がつくでしょうか。 すぐにλの誤差の絶対値がそのまま
θの誤差の絶対値1526の因数分解ではそれらの数が出てこないので、 先ほどの誤差と足し合わせると、 E+θ 26となって最初のリストの数26と一致し、 さらにトータルの誤差は、
となって、2番目に小さい非正則素数59、 3番目に小さい非正則素数67が現れました。 これで100以下の非正則素数であるわずか3つの素数 37, 59, 67すべてが現れたことになります。 (この3つの素数を一体としてみたいために、 トータルの誤差としたのかもしれません。)
非正則素数自体は 、ベルヌーイ数を求めなくても調べることができます。 t/(e^t-1) の素数pを法とした形式巾級数を計算し、 p-3以下の偶数次の係数が0になるかどうかを見ればよいのです。 また、応用数学者のために、この誤差が使われないような配慮を しているようにもとれます。このリストの後で、 log(sin(πm/2n)), log (cos(πm/2n))の数値計算の式を A,B,C,...α,β,γ,...を用いて表していますが、 このときは小数点以下20桁までしか表記していません。
誤差のある箇所は一見不規則に与えられているように見えます。 一体どこで誤差を与えたのかをきちんと解釈できるのでしょうか? きっと整数論を専門にしている方なら思いつくでしょうが、 もし説明をつけるならそれぞれの非正則素数に対する指数が答えになるべきです。 つまり、それらの素数がゼータの値の何番目に現れるかという数です。 最初の5つの非正則素数と指数の組を以下に書き並べます。
まず、大きな誤差は8番目, 11番目における近似値にあります。 ゼータの値としてはそれらの番号の4倍のところにあらわれる (37,32) (59,44)により説明をつけてみます。 つまり、32=4*8(θ), 44=4*11(λ)というわけです。 このまま(67,58)(101,68)の説明がつけば楽なのですが、 残念ながら58は4で割れませんので、他の方法が必要です。 そこでここまで2度現れた数26(ゼータの値のリストの個数であり、 E+θでもある)とそれぞれの番号の2倍により、 58=26+2*16(π), 68=26+2*21(φ)と表すことができます。 さらに(103,24)に対しては、そのまま番号の1倍で 24=1*24(ω)というわけです。 以上では誤差が現れる番号をそれぞれ4倍、2倍、1倍していますが、 これはε, ξ, ηにおける誤差の+2, +1, +0に対応し、 2の巾乗の補正をあらわしていると考えるわけです。 こんな数字遊びで5番目までの非正則素数の指数を 順番に並べることができます。
ところでpp.150-154のリストは、 小数点以下23桁という中途半端な桁数、 さらに44と48までという不揃いな個数になっています。 これには何か意味があるのでしょうか? 他にも第7章の p.91の対数の近似値で、
「これ以上の数字遊びは勘弁して欲しいなあ」と思いながらも、 E101のpp.237-238のリストを見つづけていました。 このリストには、18個の素数べきの和の近似値が示され、 その中に2箇所の大きな誤差、4箇所の中程度の誤差、 8箇所の最終桁の±1の誤差があります。 こんなに誤差が多いと、オイラーがどのように計算したかをきちんと 推測しなければなりません。 しかも、低い次数の場合と高い次数の場合で計算方法を変えているはずなのですが、 どこから変えたのかが明示されていません。
しかし、(もしその意図があったなら) 最初に現れる誤差からその意図をすぐに理解できます。 それは、非正則指数が1より大きい最小の素数
これで、さきほどは足し算でしか表せなかった67も明示できます。 そして今回も、Errorは10のところにあるわけです。 (Eとεは連動している値だとも言えますが、今回はそうではありません。)
もちろんこれらの数字遊びは、怪しいことこの上ないと感じる方もいるでしょう。
多くの数があって足したり引いたりすれば、何でもでてきそうですから。
あるいはそんな遊びのために、間違った値を与えるのは変だと思う人もいるでしょう。
しかし私自身は、謎かけや言葉遊びは一般に思われているほどいい加減なものとは
思っていません。人間の特性である知恵や機知を示す素敵で重要なものだと思います。
なによりも、なぜオイラーは34番目までのベルヌーイ数をわざわざ求めたのか
という疑問があります。
最小の非正則素数の探求の他に、その情熱の源になるようなことは
見当たるでしょうか。
オイラーが"derniere importance"と記した
ゼータの値に現れる有理数たちなのです。
私は上のようなかなり大胆な推測をしましたが、 他の方法で実は上手に説明できるかもしれません。 もしそれができれば、この推測を明白に否定することができます。 もちろん、そちらのほうが一般には理解されやすいでしょう。
本当のところはどうなのでしょう。 ただ、私自身は大いに楽しめました。 もしこの話が本当なら、オイラーの非正則素数に対する深い愛情を はっきりと知ることができたということです。 しかし、この推測自体がErrataということであっても、 不思議な解釈ができてしまうほど多くの非正則素数と知り合いになれたことは、 自分にとって幸せなことだったと思うのです。